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沖縄にある世界遺産「中城城跡」。
記事の読者
- 中城城跡とは?見どころは?
- 中城城跡の開園時間・休園日・料金を知りたい!
- 中城城跡への行き方は?
この記事では、
- 中城城跡の歴史・見どころ・石積み
- 中城城跡の開園時間・休園日・料金・アクセス・駐車場
- 中城城跡で買ったおみやげ
などをご紹介します。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開園時間・休園日などが変更される場合があります。
中城城跡とは?
中城城跡(なかぐすくじょうあと)は沖縄本島の北中城村と中城村にある城跡で、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
中城城は6つの郭(くるわ)で構成されている連郭式の山城で、中城城跡はグスクの中で遺構が最も原型をとどめていることで知られています。
南西諸島の中で奄美群島(鹿児島県)から八重山列島(沖縄県)までの地域で見られる「城」(しろ)のこと。
「城」という漢字が使われていますが、グスクの敷地内には拝所(御嶽(うたき)とも呼ばれ、神様に祈りを捧げる場所)があるなど、本土にある城とは性質が異なるものです。
敷地がとても広く、城跡部分の面積は122,399平方メートルあります。
城跡は沖縄本島東海岸の標高160メートルの高台に位置し、中城湾、太平洋、東シナ海などを望む景勝地としても知られています。
中城城の周囲は断崖と急斜面に囲まれているために守りやすくて攻めにくく、立地条件や築城技術に優れています。
小林 弘征
アクセス
バスの場合
- 那覇バスターミナル(ゆいレール「旭橋駅」前) →(23番・77番系統など(約45~60分))→ バス停「比嘉西原」(ひがいりばる)下車 →(徒歩・約6分)→ イオンモール沖縄ライカム →(観光周遊バス「グスクめぐりん」・約15分)→ 中城城跡
ルート検索をすると、バス停「伊舎堂」「久場」などから20~30分かけて中城城跡まで歩くルートが表示される場合があります。
中城城跡はそれらのバス停から140m程度高い場所にあるので、そのルートで行こうとすると、暑い日中にひたすら上り坂を歩き続けることになります。
小林 弘征
▼バス停「比嘉西原」へは、那覇バスターミナルから乗り換えなしで行けます。
この時刻表の後ろに見える茶色い建物がイオンモール沖縄ライカムです。
▼バス停「比嘉西原」の目の前の交差点を渡って、右側にイオンモールを見ながらまっすぐ進みます。
▼ここからイオンの敷地内に入って、バス乗り場に向かいます。
▼観光周遊バス「グスクめぐりん」は、アライバルゲートにあるバス乗り場(イオンモールの建物の大きな入口の前)から乗車します。
白いワンボックスと小さな黄色いバス停が目印です。
北中城村の公式サイト(「グスクめぐりん」のページ)では、バスが走行している位置や遅れている時間を確認できるので便利です。
▼イオンモール沖縄ライカムを出発して、曲がりくねった坂道を進み、15分程度で中城城跡の入口に到着です。
帰りもこの同じ場所から乗車します。(イオンモール沖縄ライカムまで約25~30分)
車の場合
- 那覇空港 → 約40分
駐車場
- 中城城跡駐車場
料金:無料
収容台数:約50台
開園時間・休園日・料金
開園時間
8:30-16:30(閉門17:00)
休園日
なし
料金(税込)
- 大人:400円
- 中・高校生:300円
- 小学生:200円
中城城跡の歴史
中城城がいつ築城されたのかは不明ですが、石灰岩を積み上げた6つの郭で構成される連郭式の建築様式を用いて、14世紀後半頃までに当時の豪族の先中城按司(さちなかぐすくあじ)が西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げました。
その後、1440年に読谷山按司(ゆんたんざあじ)の護佐丸盛春(ごさまる もりはる)が琉球王府の命によりここに移ってきて、北の郭と三の郭を増築して、現在の形が完成したと言われています。
王府軍の阿麻和利(あまわり)の策略によって攻められましたが、護佐丸には王府に対する謀反の心がなかったため、抵抗せずに1458年に自害しました。
護佐丸の後は琉球王府の直轄地になり中城王子の居城となりましたが、1609年の薩摩藩の琉球侵攻により薩摩藩の支配下に置かれ、中城城には間切番所が設けられました。
1853年、日本の開国を迫ったアメリカのペリー提督一行が日本本土に向かう途中に沖縄本島を訪れた際に中城城を視察して、城壁やアーチ門の建築技術の高さを称賛したとされています。
1879年(明治12年)の廃藩置県後は中城村役場として戦前まで利用され、太平洋戦争の沖縄戦により村役場は焼失しましたが、中城城は戦争での被害が少なかったため、沖縄のグスクの中でも当時の美しい姿を最もそのまま残している城と言われています。
1948年(昭和23年)に中城城跡は沖縄県で最初の公園として工事が着手され、1950年(昭和25年)に「中城公園」が完成しました。
1972年(昭和47年)には動物園や遊園地が併設された「中城高原ホテル」が公園内に開業し、ウォータースライダー付きのプールもありました。
しかし、ホテルへアクセスするための道路が文化財保護区域に指定されたことで通行できなくなり、開業後約2ヵ月で営業できなくなってしまいました。(ホテルの建設途中で開業できなかったという話もあります。)
ホテルはそのまま放置された状態で廃墟になっていましたが、2019年(令和元年)から解体工事が始まりました。
その後、中城城跡は2000年(平成12年)12月2日に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録され、2006年(平成18年)には日本城郭協会から「日本100名城」に選ばれています。
沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されているのは、沖縄県にある以下の9ヵ所です。
- 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
- 座喜味城跡(ざきみじょうあと)
- 勝連城跡(かつれんじょうあと)
- 中城城跡(なかぐすくじょうあと)
- 首里城跡(しゅりじょうあと)
- 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
- 玉陵(たまうどぅん)
- 識名園(しきなえん/しちなぬうどぅん)
- 斎場御嶽(せーふぁうたき)
識名園は琉球国王別邸で廻遊式庭園を楽しめる沖縄の世界遺産!アクセス・見どころは?
中城城跡で見られる石積み
中城城跡の城壁の石垣は、主に琉球石灰岩の切石を利用して以下の3種類の石積みで築かれています。
- 【野面積み】加工されてない石をそのまま積み上げる。 → 南の郭
- 【布積み(豆腐積み)】直方体に加工した石を高さを揃えてブロックやレンガのように積み上げる。 → 一の郭・二の郭
- 【相方積み(亀甲乱積み)】多角形に加工した石をお互いにしっかり組み合うように積み上げる。 → 三の郭・北の郭
▼正門方面から裏門方面に移動するにつれて、野面積み → 布積み → 相方積みと変化しているのがわかります。
▼野面積み。
拝所もあって自然を大切にしている南の郭では、加工せずにそのままの形で石が積まれています。
▼布積み(豆腐積み)。
きれいに横並びで積まれています。
▼相方積み(亀甲乱積み)。
護佐丸の時代に築かれた石垣で見られる積み方で、石のそれぞれの辺が隣り合う石としっかり接していることで強度が増しています。
中城城跡の案内・見どころ
▼通常の順路では、料金所(管理事務所)前から城跡外側にある道を歩いて一気に正門まで移動して(無料送迎カートあり)、正門から裏門に向かって見学していきます。
僕が行った時の順路はコロナ対策で逆方向になっていたので(裏門 → 正門)、この記事では実際に進んだ順路で中城城跡の様子・見どころをご紹介します。
小林 弘征
入口・料金所
▼中城城跡の入口に到着。
この日は人がほとんどいなかったので、ゆっくり見学できました。
▼入口のすぐ右前方に料金所(管理事務所)があります。
ポストカードなどのおみやげもここで購入できます。
▼入口にはハート形の石の置き物や顔出しパネルなどがあり、記念撮影もバッチリ!
馬場(記念運動場)
▼入口から坂道を上っていったところにあるのが、馬場(記念運動場)。
中城城の裏門前にあった中城小学校の移転により、その後馬場となった跡地を利用して1950年(昭和25年)に沖縄初の公園が開園しました。
城壁前の広場には多くの遊具が設置され、沖縄県民の憩いの場所となっていました。
▼世界遺産の記念碑。
▼中城城跡のジオラマもあります。
裏門
▼裏門は北東に向かって建てられ、中城城を訪れたペリー探検隊一行がエジプト式と評した美しいアーチ型の門です。
門の手前には階段が設けられていて、敵が侵入しづらい構造になっています。
北の郭
▼敵から井戸を守るために井戸を取り囲むように護佐丸が増築した郭で、相方積みの石垣を見ることができます。
▼北の郭の物見台。
大井戸(ウフガー)
▼中城城のような山城では、水はとても貴重です。
城外にあった水場を城郭内に取り入れて、北の郭を増築してつくられたのがこの大井戸で、別名「番所井戸(バンジュガー)」とも呼ばれています。
敵の侵入を防ぐために、この大井戸の横には高い城壁が設けられています。
三の郭
▼裏門を入って左側にある急な階段を上ったところには、城を守る兵士の詰所があったと考えられています。
三の郭には一の郭や二の郭へと続く城門がなく、ここで敵を食い止める役割があったとされています。
護佐丸が中城城に移ってきてから増築されたため「新城(ミーグスク)」とも呼ばれていて、相方積みで築かれているのが特徴です。
西の郭
▼長さが約120mある細長い郭で、兵馬の訓練に使われていたと言われています。
西の郭と一の郭の間には中城城で一番高い15mの城壁があり、敵が侵入してきた時にその高さで圧倒させる効果を狙ったと考えられています。
小林 弘征
▼中城城跡の入場券に描かれている絵(=ペリー提督一行が中城城を訪れた際の様子が描かれている絵)は、ペリーに同行した画家ハイネが描いた『西の郭より正門を望む』という絵です。
正門から続く西の郭の様子がわかります。
▼正門から裏門方面に戻る時に、西の郭を見ることができました。
二の郭
▼高い城壁に囲まれた平場には、城主の家族や城内で働く女性が住んでいた場所と考えられています。
小林 弘征
▼城壁を上ると見晴らしがよく、沖縄を見渡せます。
手前に見えるのは中城村で、中城湾の向こうに見えるのは斎場御嶽などがある南城市。
中城城は、首里城と勝連城を一直線で結んだちょうど真ん中あたりに位置しています。
▼日露戦争の戦没者を祀った忠魂碑もあります。
▼二の郭から見た三の郭、裏門、馬場(記念運動場)。
▼アーチ門をくぐって、一の郭へ。
一の郭
▼中城城で一番高いところにある一の郭。
一番広い郭で、かつて正殿があった場所でもあり、城主や家臣が政務や行事を行っていた重要な場所とされています。
戦前には中城村役場が置かれ、政務の中心となっていた場所でもあります。
▼護佐丸が宴を催した観月台。
▼地面に並べられているたくさんの石は石垣で使われているもので、石垣の解体・修復の作業が行われているところです。
小林 弘征
▼一の郭のアーチ門を抜けて南の郭へ出たところ。
南の郭
▼中城城の中で最も神聖な場所とされ、自然の姿をそのまま残して神様を迎え入れる形がとられています。
緑が多く、南の郭には3つの拝所(中城城跡にある拝所は計8ヵ所)が設けられています。
石垣も、石を加工せず自然のまま積み重ねた野面積みになっています。
南の郭には鍛冶屋があったこともわかっています。
また、城壁には銃眼があったりなど、正門付近を防御する役割も果たしていました。
▼拝所 雨乞いの御嶽。
▼首里遥拝所。
首里の方角を向いています。
正門
▼南西に向かって建てられた正門は、裏門とは異なり、アーチ型の門にはなっていません。
門の両側の石垣がせり出していて、当時は正門の上に木造りの矢倉が設けられていて、石垣の上から敵を攻撃できるようになっています。
南の郭の高い城壁は正門付近を守る役割もあり、城壁にある銃眼からは三眼銃(ひゃー)で、城壁の上からは弓矢で攻撃できる構造になっているという戦術的な工夫も見ることができます。
カンジャーガマ(鍛冶屋跡)
▼正門の前から海側に進んでいくと、広場に出ます。
▼その広場にあるのは、琉球石灰岩の岩盤をくり抜いて作られたカンジャー(鍛冶屋)の跡。
城主のための武具、農民のための農具が作られていたと考えられています。
▼この広場から遠くに見えるのは、以前あった中城高原ホテルの跡地。
解体工事がかなり進んでいるようで、建物がなくなっていました。
夫婦井戸(ミートゥガー)
▼西の郭の西側にある井戸で、中城城の築城当時につくられたと考えられています。
貴重な水を守るために城壁でこの井戸を囲んで、生活用水に使用されていました。
大小2つあることから、「夫婦井戸(ミートゥガー)」と呼ばれています。
出口
▼中城城跡の見学を終えて、入口(出口)に戻ってきました。
入口の門の裏側には「ニフェーデービタン マタン メンソーレ」(ご来城ありがとうございました。またのおこしを御待ちしております。)と沖縄語で書かれています。
入口の横に「ごさまるショップ」(Rainbow Coffee 中城城跡店?)というカフェがあったようですが、この時は営業していませんでした。(閉店したのかも。)
買ったおみやげ
中城城跡で買ったおみやげをご紹介します。
▼ポストカード。
旅行先のポストカードを集めるのが好きなので、全14種類を1枚ずつ買いました。
▼御城印。
御朱印のお城版のようなもので、初めて買いました。
日付も書いてくれるので、記念にもなります。
小林 弘征
まとめ
中城城跡についてご紹介しました。
- グスクの中で遺構が最も原型をとどめていて、築城技術も高く、見ごたえのある世界遺産!
- 3種類の石積みを見ることができる!
- 高台にあるので、沖縄の絶景も楽しめる!
戦争での被害が少なかったので、当時の中城城に近い状態で保存されていて、とても見ごたえのあるグスクです。
那覇から少し足を延ばせば行ける距離なので(バスを利用して片道約1時間半)、世界遺産が好きな方などは行ってみてはいかがですか?
中城城跡
電話:098-935-5719(中城城跡共同管理協議会)
公式サイト:中城城跡
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