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首里城跡などの世界遺産がある、沖縄の代表的な観光スポット「首里城公園」。
コロナ禍で首里城公園がどのような状況になっているのか気になるので、のんびりと散策してきました。
記事の読者
- 首里城とは?見どころは?
- 首里城公園内のどの部分が世界遺産なの?
- コロナ禍の首里城公園はどんな状況なの?
この記事では、
- 沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」一覧
- 首里城の見どころ
- コロナ禍の首里城公園を散策した時の様子
をご紹介します。
首里城とは?歴史は?
首里城は琉球王国(1429年から1879年までの450年間、日本の南西諸島に存在した国)の城で、沖縄の歴史・文化の象徴。
首里の丘の上に建てられ、西を正面としているのが特徴で、中国と日本の建築文化の影響を受けています。
琉球処分により1879年(明治12年)に琉球王国の最後の国王である尚泰王(しょうたいおう)が首里城から追放されて、琉球藩が廃止され沖縄県が設置された後(=琉球王国が滅亡した後)、首里城は日本軍の駐屯地や学校などに使われました。
1930年代には大規模な修理が行われましたが、1945年(昭和20年)にアメリカ軍の攻撃により全焼。
首里城は、琉球王国時代に3回、第二次世界大戦で4回目の火災に遭い、そのたびに再建されてきました。
戦後は、琉球大学建設のために首里城がほぼ完全に破壊されてしまいましたが(現在琉球大学のキャンパスは移転済み)、本格的な復元作業が始まり、1992年(平成4年)に正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。
そして、2000年(平成12年)12月2日に首里城跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録。
1992年(平成4年)に首里城公園が開園し、その後も復元工事が続けられ、2019年(平成31年)には首里城の全容を見られるようになりました。
しかし、同じ年の2019年(令和元年)10月31日未明に正殿内部から火災が発生し、正殿を含む建物9棟が焼失。
現在は首里城復興に向けて復元作業が進められていて(正殿復元は2026年完成を目指している)、首里城公園の有料区域ではその復元の様子・過程が一般公開されています。
沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
首里城公園を散策する前に、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を確認しておきましょう。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されているのは、沖縄県にある以下の9ヵ所です。
- 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
- 座喜味城跡(ざきみじょうあと)
- 勝連城跡(かつれんじょうあと)
- 中城城跡(なかぐすくじょうあと)
- 首里城跡(しゅりじょうあと)
- 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
- 玉陵(たまうどぅん)
- 識名園(しきなえん/しちなぬうどぅん)
- 斎場御嶽(せーふぁうたき)
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首里城公園内にある世界遺産は「首里城跡」と「園比屋武御嶽石門」です。
小林 弘征
▼正殿遺構は、保護のため小屋を建てた状態で公開されています。
▼火災前は、正殿内にガラス張りの床があり、そこを覗き込むと正殿遺構が見えるようになっていました。
首里城公園の案内・見どころ!コロナ禍での状況は?
首里城公園に向かおう!
▼ANAのプラチナ防衛修行で那覇に来て、帰りのフライトまで時間があるので、首里城公園を散策しにバスで移動します。
那覇は少し蒸し暑いですが、風が吹くと涼しく感じます。
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首里城公園へのアクセスはいろいろありますが、今回は125番のバス(普天間空港線)に乗って行きました。
那覇空港から首里城公園の近くのバス停「山川」までバス一本で行けて、ゆいレールを利用するよりも交通費が安く済みます。(バス停「山川」から首里城公園入口まで歩いて10~15分程度)
前回首里城公園に行った時(プラチナ防衛修行10レグ目の前)は時間がなくて守礼門を見てすぐに帰りましたが、今回は時間がたっぷりあるので大丈夫。
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下の画像はゆいレールの壺川駅付近。
小林 弘征
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▼バス停「山川」で降りて首里城公園に向かう途中に、世界遺産「玉陵」(琉球王国第二尚氏王統の陵墓)があります。
この日は閉園していました。
▼通りをはさんで玉陵の前にあるのが首里高校。
1798年に尚温王(しょうおんおう)によって琉球王国の最高学府「国学(こくがく)」が設立され、後に首里中学校(現在の首里高校)へとなっていきます。
首里高校がある場所は「旧中城御殿跡(きゅうなかぐすくうどぅんあと)」(琉球国王世子(せいし)の旧殿宅跡)です。
小林 弘征
▼首里城公園の入口に到着。
守礼門(しゅれいもん)
▼この日は有料区域が開放されていないため、無料区域をのんびりと散策します。
首里城公園に入ると、まずは「守礼門」がお出迎え。
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、守礼門に書かれている「守礼之邦(しゅれいのくに)」とは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
小林 弘征
▼総合案内所・ショップ・レストランなどが集まっている「首里杜館(すいむいかん)」も閉まっていました。
▼守礼門に近づいていきましょう。
小林 弘征
▼振り返るとこんな感じ。
真珠湊碑文(まだまみなとひもん)
▼守礼門の裏側にある石碑「真珠湊碑文」。
尚真王時代に真珠道(まだまみち)および真玉橋(まだんばし)を築造した際の記念碑で、2006年(平成18年)に復元されたものです。
真珠道は守礼門の近くから始まる道で、首里城から金城、識名、真玉橋、小禄、那覇港南岸までを結ぶ主要街道としてだけではなく、軍用道路としても重要な役割を担っていました。
石碑には「真珠道および真玉橋は一般交通の利便に供するほか、国土の防衛のため王命により建設された。一旦ことある時には、首里の軍勢と南風原、島添大里、知念、佐敷の軍勢は、真玉橋を渡って下島尻の軍勢と合流し、那覇港口の南岸垣花に勢揃いして外敵の侵入に備えた。」と記されています。
▼首里城公園の近くにある「金城町石畳道」は、現存している真珠道の一部です。(この画像は過去に撮影したものです。)
▼守礼門の裏側から首里城公園の入口方面を見るとこんな感じ。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)【世界遺産】
▼守礼門をくぐるとすぐ左側にある「園比屋武御嶽石門」は、国王が外出する時に安全祈願をした礼拝所。
人がこの門を通るわけではなく、神への「礼拝の門」ともいうべき場所で、この門の後ろにある御嶽(「うたき」と呼ばれる、神を祀る聖域)に向かって祈ります。
小林 弘征
歓会門(かんかいもん)
▼首里城の城郭内に入るための第一の正門「歓会門」。
「歓会(かんかい)」とは「歓迎する」という意味で、首里城へ招待された中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」を歓迎するという意味でこの名が付けられました。
▼この日は観光客が他に誰もいないこともあり、歓会門にいるスタッフの方が首里城についていろいろ教えてくれました。
小林 弘征
まずは、門の両側にいるシーサーについて。
一般的に、左側にいるシーサーは口を開けていて、右側にいるシーサーは口を閉じていますが、歓会門にいるシーサーはどちらも口を開けています。(下の2枚の画像は、1枚目が左側、2枚目が右側です。)
▼首里城の城壁などで使われている琉球石灰岩(珊瑚礁の石)は柔らかくて細工しやすい性質があるため、四角、半円、扇形などいろいろな形に加工できるそうです。
▼琉球石灰岩は元々白くて、首里城の城壁も最初は白かったそうです。
琉球石灰岩は雨や日光(紫外線)などに晒されることで経年変化していくので、その影響を受けづらい場所(歓会門の内側など)を見ると白いのがわかります。
小林 弘征
▼石の中に貝殻が埋まってることから、この石は元々海の中にあったことがわかります。
▼石垣を見ると、元々あった石垣(画像の中央部分)の周りに新しい石垣を積み上げているのがわかります。
瑞泉門(ずいせんもん)
▼歓会門の先にある、城郭内に入るための第二の門「瑞泉門」。
尚真王(しょうしんおう)の時代に歓会門や久慶門(きゅうけいもん)が建てられるまでは、瑞泉門が首里城の正門でした。
「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、瑞泉門の手前右側にある湧水「龍樋(りゅうひ)」にちなんで「瑞泉門」と名付けられました。
小林 弘征
▼瑞泉門の両側にもシーサーがいて、左側にいるシーサーは口を開けていて、右側にいるシーサーは口を閉じています。
▼瑞泉門の前で振り返るとこんな感じ。
左側に見えるのは歓会門で、石段の両側に見える石碑は「冊封七碑(さっぽうしちひ)」です。
小林 弘征
中城城跡は築城技術が高く沖縄の絶景も楽しめる世界遺産!アクセス・見どころは?
▼右側を見ると、「久慶門(きゅうけいもん)」(画像内の左側)があります。
歓会門が正門であるのに対して、久慶門は通用門だった(主に女性が利用)と言われています。
龍樋(りゅうひ)
▼瑞泉門の手前右側にある湧水「龍樋」。
龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられ、この水は王宮の飲料水として使われていました。
「樋(ひ)」とは、川や泉から水を導く長い管、または溝、あるいは屋根の雨水を受けて地上に流す装置(掛け樋)などのことです。
小林 弘征
龍樋の正式名は「瑞泉」で、沖縄の有名な泡盛「瑞泉」はここから名付けられました。
冊封七碑(さっぽうしちひ)
▼龍樋の周りに設置されている7つの石碑「冊封七碑」。
中国皇帝の使者である「冊封使」は、龍樋の水の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題字を残しました。
冊封七碑には
- 中山第一(ちゅうざんだいいち):意味「泉の水量、水質は琉球第一の泉である」
- 飛泉漱玉(ひせんそうぎょく):意味「清らかな泉があたかも玉のように飛び散っている」
などがあります。
漏刻門(ろうこくもん)
▼瑞泉門の先にあるのが、城郭内に入るための第三の門「漏刻門」。
「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味で、門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置して、水が漏れる量で時間を計ったと言われています。
小林 弘征
▼過去に撮影した漏刻門。
広福門(こうふくもん)
▼漏刻門の先にあるのが、城郭内に入るための第四の門「広福門」。
「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味。
▼広福門の前は見晴らしがよく、歓会門、久慶門、龍潭(りゅうたん)、弁財天堂(べざいてんどう)、円覚寺(えんかくじ)の総門などが見えます。
日影台(にちえいだい)
▼漏刻門の正面に置かれているのが「日影台」という日時計で、漏刻門の水時計の補助的な道具として使われていました。(この画像は過去に撮影したものです。)
万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)
▼日影台の隣にある小屋(上の画像内の小屋)の中にあるのが「万国津梁の鐘」。(この画像は過去に撮影したものです。)
この鐘は首里城正殿に掛けられていましたが、具体的な設置場所が不明であるため、現在はここに設置されています。
実物は沖縄県立博物館に収蔵されていて、この小屋にある鐘はレプリカです。
奉神門(ほうしんもん)
▼広福門を通り抜けると「下之御庭(しちゃぬうなー)」に出ます。
「下之御庭」とは、沖縄の表現で「下の庭」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る手前の広場です。
広福門の裏側は、有料区域入場券の券売所として利用されています。
▼「御庭」へ入る最後の門である「奉神門」。
「奉神門」とは「神をうやまう門」という意味です。
門にある3つの入口のうち中央は身分の高い人(国王や中国からの冊封使など)だけが通ることができ、それ以外の役人は両側の入口から入城しました。
現在は改札所(ここから先は有料区域)として利用されています。
有料区域の営業時間の直前に来ると、開門を告げる朝の儀式「御開門(うけーじょー)」を見ることができます。
小林 弘征
首里森御嶽(すいむいうたき)
▼奉神門の前にあるのが「首里森御嶽」という礼拝所。
城内には10ヵ所の礼拝所があったと言われていて、「首里森御嶽」は神が造られた聖地であるとされています。
大龍柱補修展示室(だいりゅうちゅうほしゅうてんじしつ)
▼首里城正殿の正面にあった「大龍柱(だいりゅうちゅう)」。
2019年(令和元年)10月31日に首里城で発生した火災により損傷を受けましたが、火災を耐え抜き自立している姿は印象的でした。
補修された大龍柱は、補修作業が行われたこの場所で展示されています。
▼過去に撮影した大龍柱。
向かい合って立っていました。
系図座・用物座(けいずざ・ようもつざ)
▼「下之御庭」の西側にある建物は、「系図座」と「用物座」という役所があった建物です。
「系図座」は士族の家系図を管理していた役所、「用物座」は場内で使用する物品・資材等の管理を行った役所。
現在は休憩所と情報案内所として利用されていて、琉球王国のお菓子を楽しめるサービス(有料)が行われています。
有料区域(正殿遺構・御庭など)【世界遺産】
▼奉神門を通り抜けたところ(有料区域)には正殿遺構や御庭などがありますが、この日は有料区域が開放されていなかったので入ることができませんでした。
世界遺産である「首里城跡」(首里城正殿遺構)はこの有料区域内で見ることができます。(この画像は過去に撮影したものです。)
▼奉神門の前をいろいろ見ていたら、中央の石段の欄干に優しく可愛い顔をしたシーサーがいるのを見つけました。
小林 弘征
▼奉神門の写真を撮っていると、「奉神門の横から奥に進むと正殿周辺の様子も見えますよ」とスタッフの方から教えていただいたので、早速見に行ってみます。
▼正殿周辺の様子。
小林 弘征
京の内 物見台(南のアザナ)
▼正殿周辺の様子を見てからそのまま奥に進んでいくと、「京の内 物見台」(南のアザナ)につながっています。
調べた資料の中に「南のアザナ」という表記があったので記載しましたが、現在この名称は一般的には使われていないのかもしれません。
▼「京の内(きょうのうち)」は「下之御庭」の南側にある城内最大の信仰儀式の場で、首里城発祥の地とも言われている神聖な場所です。
▼「京の内 物見台」(南のアザナ)から沖縄の風景を楽しめます。
▼来た道を戻って、奉神門へ。
木曳門(こびきもん)
▼園内を散策して「木曳門」を抜けると、首里城の城郭の外に出ます。
「木曳門」は、首里城の修復工事の時だけ資材の搬入口として使用されました。
現在は、ここから有料区域へと進める車椅子用ルートが整備されています。
史跡 首里城跡の石碑
▼木曳門から首里杜館に向かって進んでいく途中の左側に「史跡 首里城跡」の石碑があります。
琉球大学跡の石碑
▼「史跡 首里城跡」の石碑の左側には、「琉球大学跡」の石碑があります。
戦後、首里城があった敷地に琉球大学が置かれていた時期がありました。(現在、琉球大学のキャンパスは移転しています。)
首里杜館(すいむいかん)・芝生広場
▼総合案内所・ショップ・レストランなどが集まっている「首里杜館」の前には芝生広場があり、首里城公園のイベント期間中はこの広場に特設ステージや屋台などが設置されます。
小林 弘征
▼「首里杜館」も休館していました。
▼園内の散策を楽しんで休憩していたら(このパインジュースが甘くてうまい!)、ちょうど帰宅の時間で小学生が何人も賑やかに目の前を通っていきました。
小林 弘征
入場料・アクセス・開園時間
首里城公園の入場料・割引・アクセス・駐車場・開園時間・休園日については、別の記事で詳しくご紹介しています。
まとめ
首里城の見どころ、コロナ禍の首里城公園を散策した時の様子などをご紹介しました。
- 首里城公園内にある世界遺産は首里城跡と園比屋武御嶽石門!
- 沖縄の歴史と文化を感じられる場所だから、那覇に来たら行くべき!
- コロナ禍で公園内には人がほぼいなかったけど(観光客は数人のみ)、スタッフの方からいろいろ教えていただけて感謝!
首里城公園に来ると沖縄の歴史と文化に触れることができて、いつも有意義な時間を過ごすことができます。
この日は有料区域が開放されていなかったこともあり、観光客がほとんどいなくてほぼ貸切状態の首里城公園を楽しむことができました。
首里城が一日でも早く元の姿に戻って、公園内がまた多くの人で賑わうのを願っています。
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